ギリフォトワークスとは?
about
写真をのこす、ということ
一枚の写真を見て、涙を流すことがあります。
全く知らない時代の、全く知らない女性のポー
トレート。
なんとも穏やかで、美しく、写真そのものとは
裏腹に決して色あせないその輝き――
私はその写真に魅かれていろいろと持ち主に
尋ねたくなりました。
この写真の女性は、持ち主――四十代くらいの
主婦――の亡くなった祖母で、大正〜昭和
という日本では時代の変わり目の頃に、
写真を好んでいた祖父がアメリカで
撮影したものだという。
この一枚で時代やファッションも
さることながら気がつくことがある。
「写真は撮影者と被写体の関係性がでる」
ふとそんな言葉を思い出しました。この女性が目
を向ける先には、愛する彼がいたのです。私は思
いました。写真で一番大切なことは、撮る側と撮
られる側とのつながりである、と……
被写体との関係性が強い人間がシャッターを押し
た写真は、技術やセンスを超えた力がある。私は
そんな写真の持つ力に魅了されているのかもしれ
ません。そこから生まれる衝動に素直でありたい、
そう思います。
もう一枚の写真は私の宝物です。満九十五歳で亡
くなった祖母と私の日常のなんでもない写真。
いつも肌身離さず持ち歩いています。
とにかく「おばあちゃん子」だった私は、顔立ち
も似て、いとこたちの中でも年下だったというこ
ともありとにかく可愛がられました。
そんな大好きなおばあちゃんとのツーショットの
写真。実はこの一枚しか残っていません。いつも
会っていたはずだし、たくさん残っていそうなも
のですが、これしか残っていません。この一枚の
写真は私の一番の宝物です。この一枚に祖母との
思い出がいっぱい詰まっているからです。
私はこの二枚の写真を見て涙を流しました。私の
写真に対する想いや考えは、
この両極の二枚の写真から成り立っています。
自分のルーツを知る、ということ
先日、数年前に他界している
祖父母の家を整理していると、
ある紙袋を見つけました。
その紙袋を見た時に、直感で
「中に写真が入っている」ことは
分かりました。
そこには父ですら初めて見る、
祖父母の結婚写真が
入っていました。
私にとってはこれ以上にない宝物です。
「人と人との関係性」「当たり前の日常」
ウエディングフォトも例外ではなく、この
ニつから成り立っていると信じております。
単純だけど心が和む、撮りながら和んでい
る自分が写る。かっこつけることも無理す
ることも無い。
そのままその人と自分の人生が出てくるよ
うな、そんな写真が撮りたい。
そう思って今日もシャッターを押してます。
僕がこうして十年以上写真を撮り続けて
きたのは、この日この時、出会いがあっ
て、「瞬間を残す」という事を教えられ
たからなのかもしれない。
九年前のあの時、この日の事を想像でき
ただろうか?
娘から・・・今度は孫へ。
妻へ・・・そして子供へ。
変わらず確かな愛情を。
片桐 裕二
写真をのこす、ということ
一枚の写真を見て、涙を流すことがあります。
全く知らない時代の、全く知らない女性のポー
トレート。
なんとも穏やかで、美しく、写真そのものとは
裏腹に決して色あせないその輝き――
私はその写真に魅かれていろいろと持ち主に尋
ねたくなりました。
この写真の女性は、持ち主――四十代くらいの
主婦――の亡くなった祖母で、大正〜昭和とい
う日本では時代の変わり目の頃に、写真を好ん
でいた祖父がアメリカで撮影したものだという。
この一枚で時代やファッションもさることなが
ら気がつくことがある。
「写真は撮影者と被写体の関係性がでる」
ふとそんな言葉を思い出しました。この女性が目
を向ける先には、愛する彼がいたのです。私は思
いました。写真で一番大切なことは、撮る側と撮
られる側とのつながりである、と……
被写体との関係性が強い人間がシャッターを押し
た写真は、技術やセンスを超えた力がある。私は
そんな写真の持つ力に魅了されているのかもしれ
ません。そこから生まれる衝動に素直でありたい、
そう思います。
もう一枚の写真は私の宝物です。満九十五歳で亡
くなった祖母と私の日常のなんでもない写真。
いつも肌身離さず持ち歩いています。
とにかく「おばあちゃん子」だった私は、顔立ち
も似て、いとこたちの中でも年下だったというこ
ともありとにかく可愛がられました。
そんな大好きなおばあちゃんとのツーショットの
写真。実はこの一枚しか残っていません。いつも
会っていたはずだし、たくさん残っていそうなも
のですが、これしか残っていません。この一枚の
写真は私の一番の宝物です。この一枚に祖母との
思い出がいっぱい詰まっているからです。
私はこの二枚の写真を見て涙を流しました。私の
写真に対する想いや考えは、
この両極の二枚の写真から成り立っています。
自分のルーツを知る、ということ
先日、数年前に他界している
祖父母の家を整理していると、
ある紙袋を見つけました。
その紙袋を見た時に、直感で
「中に写真が入っている」ことは
分かりました。
そこには父ですら初めて見る、
祖父母の結婚写真が
入っていました。
私にとってはこれ以上にない宝物です。
「人と人との関係性」「当たり前の日常」
ウエディングフォトも例外ではなく、この
ニつから成り立っていると信じております。
単純だけど心が和む、撮りながら和んでい
る自分が写る。かっこつけることも無理す
ることも無い。
そのままその人と自分の人生が出てくるよ
うな、そんな写真が撮りたい。
そう思って今日もシャッターを押してます。
僕がこうして十年以上写真を撮り続けて
きたのは、この日この時、出会いがあっ
て、「瞬間を残す」という事を教えられ
たからなのかもしれない。
九年前のあの時、この日の事を想像でき
ただろうか?
娘から・・・今度は孫へ。
妻へ・・・そして子供へ。
変わらず確かな愛情を。
片桐 裕二